レポート

【映画】「国宝」  ーリピート鑑賞前のあるといい知識ー


歌舞伎は大衆娯楽だが、娯楽の少ない江戸時代は子どもから大人まで忠臣蔵のセリフなどはそらで言えるほどの人気を誇った。
江戸で1日千両の金が動くところは、日本橋の魚河岸、浅草裏の吉原、それに歌舞伎興行と相場が決まっていた。いわゆる千両役者である。
今の歌舞伎ではないが、江戸時代は役者は6段階に分かれていた。
「稲荷町」から始まり「中通り」「相中」「上分」「名題下」そして上がりが「名題」。ここまで行くと「親方」と尊称で呼ばれる。屋号が付き、俳名を名乗ることができる。また衣装も演出も自分で決めることができる。かなりの権限である。
が、それ以上の権力となると、座頭となる。
座頭は、演目を決める。演出を決める。役を決めるなど、絶対権限を持つ。そうなったのは初代市川團十郎が居たためである。

歌舞伎は「東京」=江戸と思われているかもしれないが、元々は関西から始まる。
例えば、歌舞伎で一番当たりをとった「仮名手本忠臣蔵」の作者は竹田出雲、三好松洛、並木千柳と言われているが、全員大阪の座付きの狂言作者だ。江戸初期は、江戸は将軍様がいても田舎。いいものはすべて上方から下ってくる。酒、名物だけでなく、文化、エンタメもそうだったわけだ。

これをひっくり返したのが、初代市川團十郎。近松門左衛門と坂田藤十郎が緻密に練り上げた人情劇に対抗すべく、隈取りをした顔に、オーバーな見栄を駆使し、舞台を沸かせた。「荒事」が世に出た瞬間だ。彼により、江戸発の表現、面白さが生まれた。
そして成田山に願掛けして二代目が生まれ、歌舞伎初の父子共演。ここで屋号を「成田屋」にする。

そして初代は舞台上で殺されてしまう。そして、息子は團十郎という名前と芸を世襲する。市川宗家は「荒事」を独占したとも言える。絵に描いたような、劇的な繋ぎであり、市川宗家は演劇界のトップに躍り出る。

市川宗家ほどではないが、主役を張れる家はある。尾上菊五郎家、中村歌右衛門家、片岡仁左衛門家、松本幸四郎家、中村吉右衛門家、守田勘彌家。
これ以外のところから出てきた名優で、私が知っているのは中村仲蔵。名題になり拵えた、忠臣蔵五段目の斧佐九郎の演出は、今でも使われている。

タイトルになっている国宝(人間国宝)は、現在5人。坂田藤十郎(平成6年認定時は三代目中村鴈治郎)、澤村田之助(同14年)、尾上菊五郎(同15年)、中村吉右衛門(同23年)、坂東玉三郎(同24年)。
歌舞伎役者はざっと300人と言われるので、2%。江戸時代からあり、番付もある大相撲は800人に横綱2人。0.25%。
が、横綱になるのと、歌舞伎の人間国宝になるのは、どちらが優しいかと言うと、その才能があったら大相撲の横綱になる方が優しい。曙、武蔵丸、朝青龍と言った外国人横綱が出ている通り、大相撲は強さが絶対原理だ。しかし歌舞伎はそうはいかない。名門の出(生まれではない。養子縁組でもよい。)でなければ権利がない。その名門で一番にならなければ国宝にはなれない。

映画の「国宝」は、この江戸時代から連綿と続く血と芸の仕組みを題材にしている。それがわからないと、わからないセリフが多々ある。未だに初代團十郎に呪縛されていると言って良いのかも知れない。その位、歌舞伎は血に塗れているところがある。まさに、芸のためならなんでもする。

それはさておき、それを知らなくても、この映画はすごい。まず、同世代のライバルキャラがきちんと出ている。面白漫画のセオリーだ。そして主人公の立花喜久雄の吉沢亮と、その親友と書いてライバルとなる上方歌舞伎の名門の子 大垣俊介の横浜流星の演技がいい。引き込まれる。伸びるために、競い合うのが面白い。が、そのうち舞台上での競い合いはなくなる。疲弊しないように育てないと、争いでボロボロになったら魅力は半減する。
後ろ盾がないので、ひたすら芸を磨く喜久雄に対し、名門の御曹司の余裕の争いになる。そしてそこから先は、挫折と憎しみが色濃く出るようになる。
いろいろなことがあり、最後、国宝になった喜久雄の胸中に去来するものは・・・という、実によくできた映画である。

もしリピート鑑賞するなら、この歌舞伎が持つある種の閉塞感を理解した上で観るとより楽しめるのではないだろうか。

2025-10-08