思うこと

映画「相撲道」を観て。
「相撲」と「鬼滅」に共通するもの。


ドキュメンタリー映画「相撲道 〜サムライを継ぐ者たち〜」を観てると、やたら「鬼滅の刃」で語られる言葉が出てきます。この映画は、タイトルから分かります通り、古来より日本人に親しまれてきた「相撲」を「侍」と見ています。しかし、実は「相撲」も「侍」も「鬼滅」も、日本人に共通した思いを持つものなのではと思うようになりました。
◾️格闘技の中の相撲のポジション
今の日本、格闘技で一番競技人口が多いのは柔道でしょう。そして世界での競技人口も一番かもしれません。何故、世界で受け入れられたのかというと、ボクシングと同じように、重量階級性を用いたためだと思います。

要するに、「同じ体格の者同士が戦うので平等」という訳です。

 
これと全く違うのが国技「相撲」です。
無差別級格闘技です。

例えば、ボクシングで無差別になると、まずリーチの差が問題になります。物理的に届かないと言うわけです。技量が大幅に違えば、また対応方法はあるのかもしれませんが、そうでなければ、対応のしようがない。一方的にぶちのめされます。

そうでないのが相撲。無差別級なので、基本大きくて、重い者が圧倒的に有利です。

 
しかし相撲という競技は、歴史の中で、洗練されてきました。

日本書紀に記されている最古の角力試合、當麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)の一戦は、土俵なし、倒れてもよし、パンチどころかキックありの、パンクラチオン。結局、蹴りで腰骨を砕いた宿禰の勝ち。すごいものです。

それが平安時代の宮中相撲節会。土俵こそありませんが、立ち合い(開始時のぶつかり)はなし。要するに一つやさしくなったわけです。鎌倉時代から戦国時代、武士の間では、いくさの組討ちの模擬戦として盛んに取られます。そして天下太平の江戸時代。相撲興行が盛んに行われるようになります。

土俵、禁じ手など、ほぼ現代へと受け継がれる様々なルールができたのは、江戸時代と言われています。力士が死ぬと興行にはなりませんから、当然の措置と言えます。

しかし、そんな江戸時代に規格外の相撲取りが出てきます。相撲の歴史上最強ともいわれる雷電為右衛門(身長:197cm、体重:169kg、最高位:大関、生涯勝率:9割6分2厘!!)です。彼は強すぎるが故、一人だけ、鉄砲(突っ張り)、張り手、閂(かんぬき)、鯖折りは禁じ手だったそうです。これ相撲の基本と言われる、押し相撲がほとんどできない状態。それでも、この勝率ですから、さぞかし強かったものと思います。

こんな感じで、今のルール、土俵から出てはダメ、足の裏以外がついたらダメ、まげを掴んだらダメ、などが決まったわけです。

が、無差別級は残りました。昔は、柔道、空手など、みんな無差別級。全ての格闘技のもとは戦場ですから当たり前と言えば当たり前なのですが。世界進出と共に、階級制を導入しました。しかし、その無差別級が相撲の醍醐味につながっています。

 
◾️相撲の立ち合いは、交通事故と同じ
相撲は、立ち合いから始まります

頭からぶつかる者、胸を出しぶつかる者、肩を使いぶつかる者、かちあげる者。いろいろなパターンがありますが、この立ち合いで有利な形を取らないと、勝てません。

そのため、全力でぶつかります
力士が、肉の岩山のような体型をしているのは、それを受けるためです。

相撲で、力士に一番近い会場は大阪場所です。横綱も廊下で待っています。生で見るとよくわかるのですが、力士の肉体はテレビで見るのとは大違い。まさに肉の壁という感じです。特に横から見たときぎょっとします。肩幅と厚みが同程度で、しかも熱気がムンムンしています。まさに筋肉の塊です。

しかし、それでも、力士は、口を揃えて、言います。立ち合いが一番怖いと。

朝青龍全盛時代、優勝した栃東が、引退時に言った言葉は忘れられません。
「明日から、あの立ち合いをしなくてもいいということで、安心して眠れる。」
記憶の中の言葉ですから、うる覚えですが、印象に残っています。こんなに強い大関でも、立ち合いは怖いということです。

 
ちなみに相撲取りは、超スポーツエリートです。特に足、瞬発力はすごい。
朝青龍が腰を痛めて、モンゴルに帰ったとき、サッカーをしている問題のビデオがありましたが、そのスピードは、並のサッカー選手ではかないませんね。

そんなえりーとが、立ち合いを制するために、稽古して、食べて、寝て、体を作る訳です。それでも「交通事故にあっているようなもの」という訳ですから、いかに過酷か分かります。

前の人の回しを後ろに引きながら歩く「ムカデ」。
超しんどい。


このため相撲の上位は怪我が多い。よく「相撲をしながら治せ」と言いますが、これは怪我は相撲をしている間、完全に治りきることはないと言います。怪我をしても相撲をとって、その怪我に合った体の使い方を見つけなさいという訳です。力士のほとんどは、満身創痍で頑張り、頑張れなくなると引退します。

 
◾️豪栄道の相撲道
この映画にの主人公は2人。片方は、元大関 豪栄道です。
彼は、土俵にキレイな体で上がります。テーピングをしない。怪我をしていてもしない。
耐え忍ぶ漢気」ですね。

豪栄道と竜電


要するに苦労を飲み込んでしまおうという訳です。

相撲は、「心・技・体」と言われますが、怪我の時は体がダメですから、後は、心と技で頑張るしかありません。
豪栄道は幸いなことに「相撲が上手い。」大関まで行った人を捕まえて失礼かもしれませんが、他の力士から言うと、「どうしてあんな動きができるのか?」と言われるレベル。当然、技はピカイチです。

また、部屋では、トップ、部屋頭皆んなを導く立場にあります。
弱音を吐くわけにはいきません。

心の中の我慢。それは、炭治郎が自分を鼓舞するのに似ます。
「頑張れ炭治郎、頑張れ!俺は今までよくやってきた!俺はできる奴だ!そして今日も!これからも!折れていても!俺はくじけることは絶対にない。」
豪栄道が映画「鬼滅の刃」を見たかどうか知りませんが、見たら大きな声で声援をおくったのではないでしょうか?

 
◾️竜電の相撲道
もう片方の主人公 竜電。
こちらは、さらにすごいです。股関節を骨折して、治ったとして稽古して、また骨折。それを繰り返した力士です。

元々、力がある力士。2006年の初土俵から、2012年で新十両。その時、みご股関節を骨折します。そして治ったとして、何度も骨折。5場所の休場を余儀なくされました。

番付は、序の口まで落ちました。大相撲の番付は、序の口、序二段、三段目、幕下、十両、前頭、小結、関脇、大関、横綱の順です。この中で、序の口〜幕下までは、力士養成員と呼ばれます。要するに力士の見習いです。この間は、給金はなし、大銀杏は結うことができませんし、外出時羽織も着ることができません。

そして十両になると、○○関と呼ぼれ、自分の好きな回しを締めることができる力士となります。もちろん球菌も払われます。言い方を変えると、相撲興行は十両と幕内(前頭〜横綱)がいないと成り立たないのです。興行収入があるのは彼らがいるからです。

このため、十両以上は顔見せのための土俵入りがあり、十五日間取り組みをこなさなければならないわけです。

 
力士は、十両になった時が一番嬉しいと言います。それはそうでしょうね。一人前と認められた瞬間ですから。しかし、休場すると、横綱と大関以外は番付が下がります。十両の竜電は、序の口まで落ちました。

序の口、出発点です。番付の下の方は、付き人など、いろいろな雑務もしなければなりませんし、給金もゼロ。経済的にも、プライドもズタボロです。過去の努力は無駄になったわけです。もう一度這い上がるのは、並大抵ではできません。体と相談しつつ、怪我と相談しつつですから、体は当てにならない。当然、技のキレも悪い。

となると「心を燃やす」しかありません。
まさに「失っても、失っても、生きていくしかないです。どんなに打ちのめされようと。」となります。

 
◾️日本人が好きなヒーロー
歴史上の人物で、日本人が好きな者は、苦労してことを成し遂げた者です。そしてそこから悲劇的結末があれば、最高です。

源義経などは、判官贔屓という言葉があるくらいですから、まさにそれ。乳飲み子の時、父は平氏に討たれ、母は清盛に身を差し出し命乞い。命は拾ったものの、鞍馬寺へ押し込められます。ここで天狗に剣術を習いというのは作り話だと思いますが、奥州へ。兄 頼朝が平氏に反旗を翻すと、郎党を連れ参加。一ノ谷、屋島、壇ノ浦と平氏を追い詰め、滅ぼしてしまいます。

その後、兄頼朝から謀反ありとされ、愛妾 静御前と別れ、奥州へ。安宅の関を越える時は弁慶が身を張って主君を守る。ここら辺は、歌舞伎でも有名な「勧進帳」。

そして最後は、衣川の戦で、藤原泰衡に討たれます。

 
また、赤穂浪士 大石内蔵助もそうですね。昼行灯と呼ばれた男が、主家の窮地に獅子粉塵の働き。赤穂城明け渡し後は、敵を欺きながら仇討ちの機会を待ちます。そして仇討ち後、切腹です。

 
私は、炭治郎もそれに似ていると思います。
強大な力を持つ鬼に、家族が犠牲になり、自分と妹が助かります。が、妹は鬼化しています。そんなどん底の状態から、敵討ちと妹を人間に戻すための大絵巻(スペクタクル)が展開されるわけです。

これは「敵討ち」という部分を除くと、相撲、ひいては合戦時の侍に似ています。
強大な相手にいどまなければならない。鬼対人。体では劣ります。そして技も。そうなると心を軸に勝つしかない。鬼は強い分だけ、油断したりします。その虚を突く感じで、ボロボロになりながら戦います。

相撲も同じ。そこで生きると決めたわけですから逃げられない
「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。」となるわけです。
こちらは、エヴァの碇シンジですが、こちらがマイナスを感じさせる言葉を吐く主人公なら、炭治郎はプラスを感じさせる言葉の主人公です。

となると、周りもプラスな、ハイテンションな感じになります。
「よもや、よもやだ。柱として不甲斐なし!穴があったら、入りたい!」と曰う煉獄さんなどは、まさに歌舞伎役者の見栄そのもの。「うぉっ、カッコいい」となります。見た目、役柄ともハマりすぎです。

 
◾️スポーツ選手の験担ぎ
炭治郎の心の強さの秘密が家族愛、人とのつながりであり、それを軸にした稽古がよりどころだとすると、相撲取りは強さの拠り所をどこに求めるのでしょうか?
相撲道では、「稽古量」として描かれています。稽古をあれだけ頑張ったのだから、オレはできる、できるる奴だとなるわけです。

相撲取りも含め、スポーツ選手はよく験を担ぎます。運を味方につけるために、どうすればいいかと言うことです。

実は、よく言われるのに格闘技は基本番狂わせはないと言われます。双方、同じ状態なら、番付が上のものが勝ちます。

しかし、稽古が足らないとどうでしょうか?
そりゃ、負けます。しかし稽古は苦しいし、面倒です。サボりたくなりますし、逃げ出したくなります。しかも力士は、24時間が稽古とも言えます。力士は食って体重を増やすのも稽古です。そのためには、食べなければならないし、寝ることも大切。もちろん稽古も大切。24時間、生活自体が相撲なのです。

ちゃんこも稽古。


験担ぎは、どちらかというと、稽古が足りていない人がよくします。技、体という前に、心を折らないようにするためです。人が生きるというのは難しいものです。

 
◾️日本人の好きな相撲、鬼滅
今、メディアでは、映画「鬼滅の刃」を初見で泣いた人のことが取り上げられ、分析されたりしています。しかし、日本人は、昔から、こんな感じではなかったでしょうか? 敵わない巨大な敵に、自分を鼓舞しながら向かっていく。炭治郎は鬼、相撲取りは相手。勝たなければならないのですが、到底勝てる見込みは薄い。それでも、明日へつながることを信じて自分を鼓舞し、頑張る。そうすると神仏も味方し、潜在能力まで引き出し勝つことができる。これって、日本人が大好きな構図です。

相撲取りの体を見ると、これだけデカければと思いますが、相撲は刹那の格闘技。不利になった時、元に戻す術がないことが多い。それに負けない心の強さを重視するのが日本文化。その意味で、相撲も、鬼滅も、日本的なメンタリティを感じさせます。

 
映画「相撲道」のURlはここから
https://sumodo-movie.jp/
 

 
#相撲道 #心技体 #日本人 #日本文化 #生活家電.com

2020年11月19日

タグ: , , ,